2012年7月31日火曜日

都会の牛はスイカを食べる


ホームステイ先は
タシケント市内だし、中心地からバスで15分だし
日本で言えば、杉並区あたりに相当すると思うんだけど


近所に牛がいる。


マンションとマンションの間を闊歩していたり
牛飼いに追い立てられて車道を横断したりしている。
車道って、本当に車がビュンビュン走ってるんだけどさ。

ある朝、オパのゴミ捨てについていったら
生ゴミの入ったバケツを渡されて
「これをあの女の人に渡してきなさい」と言われた。

オパが指差したのは、牛飼いの女性。
近くには、大きな牛が2頭。
私がバケツを渡すと
女性は「Рахмат(ありがとう)」と受け取り
牛の前に中身をぶちまけた。

この牛たちは生ゴミを食べるのか……!

びっくりして見ている私の前で
牛はスイカの皮を猛然と食べた。バリバリと音を立てて。



2012年7月29日日曜日

写真撮影について



この国では、写真を撮ってはいけない場所がたくさんあります。

たとえば地下鉄の駅。
タシケントの地下鉄の駅はとてもきれいで個性的です。
天井の高さが日本の地下鉄の2~3倍はあって
シャンデリア&大理石の壁とか
巨大なオブジェがはめこまれた壁とか
とにかく豪華。
でも撮影は禁止されています。
もったいない、観光資源として活用すればいいのになあと
私は思いますが。

また、政府関連の建物も撮影できません。
「政府関連の建物」とほかの建物が大きく違うわけではないので
間違えて撮ってしまったり
ほかのものを撮ったつもりが写りこんでしまうこともあり得ますが
撮ってしまうと、悪意がなかったとしても
警察に連行されてしまう可能性があります。

ですから、今のところ、街路ではあまり写真を撮っていません。
タシケントは立派な建物の多い都市なのですが
家庭内でばかり写真を撮っているので
このブログもずいぶん牧歌的な雰囲気になってしまいます。

2012年7月19日木曜日

ウズのドリームランド


ホームステイ先の子、ミルサイドが誕生日で
「いっしょにparkへ行くか?」と聞くので
もちろんついていったわけだが
そこはparkといっても「公園」ではなく「遊園地」だった。



遊具のラインナップは、メリーゴーラウンドに観覧車、
グルグル回るものや上ったり落ちたりするものなど
日本と大きく違うわけではない。

というか、30歳以上の神奈川県出身者向けに表現するなら
「ドリームランドじゃん!」って感じ。
それほど大規模ではなく、遊具もくたびれていて
でも地元の子どもたちには愛されている、あの感じ。
たぶんほかの街にも同じような遊園地が
ある/あっただろうと思う。

そうそう、いきなり話がそれるが
ドリームランドといえば、先日、弟がこんな疑問を口にした。
弟の頭の中で、たまに流れる歌がある、と。
それは、昭和歌謡のようなメロディーで
 よ・こ・は・ま ドリーム ランドに 行きた~け~りゃ~~
 か・っ・て・に 行・け・ば・と 言いたく な~~る~~♪
というものである。
今まで何も考えずにこの歌を思い浮かべたり
一人でいるときは口ずさむことさえあったが
実はこの歌、姉(私の妹)が作った歌ではないか、と。
間違いない。それは幼かった妹が
ドリームランドに行きたい想いを歌にして
お風呂などで弟に歌わせていた歌である。
「やっぱり……」と弟が悔しがっていたのが忘れられない。

閑話休題。

遊具のラインナップはドリームランドと変わらないが
違う点もいくつかある。

まず、プールサイドが砂浜。
二重内陸国ゆえの海への憧憬が表れているのだろうか。









フードコートのようなところで
鶏肉の丸焼きやノン(ウズのパン)など
しっかりめの食事を食べられることにも驚いた。

ちなみに、ミルサイドの誕生日は
毎年、この遊園地に遊びに来て
鶏肉を食べるのが恒例らしい。
いい家庭内ルールだと思う。


ほかにも、屋外に卓球台があったり
食べ物のワゴンに並んで、有料体重計があったり。
射的やおもちゃが当たるくじびきなど
お祭りの夜店のような屋台もあった。

そして、何より興味をひかれたのは
たくさんいるキャラクターたち。

妖精?


暑いけど、そこで休んじゃダメ!



ボブも!


思っていた以上に楽しい場所だった。


2012年7月18日水曜日

誕生日だ、タブリックライマン


本来のウズ式だと、誕生日の主役が
自ら店を予約したりケーキを準備したりするらしんだけど
私はまだ来たばかりなので
今年は日本式で誕生日を祝ってもらいました。

まず、いま一緒に語学訓練中の友だちからケーキを。



ウズベク語の「shirin」には「甘い」と「おいしい」の
2つの意味があるという
それほど「甘いはうまい」なお国なので
ケーキももちろん甘かった!
でもスポンジがしっとりしてておいしかったです。

帰宅後、ホームステイ先の家族からプレゼントをいただきました。


折り畳み傘と室内用のスリッパです。
「この国の太陽は強いですから、カサが必要です!」
と、私が片言でわめいていたのをおぼえていてくれたのでした。
本当にやさしいなあ。

ちなみに、事務所周辺(タシケントの丸の内的な場所)では
日傘をさしている人はほとんど見かけませんが
ホームステイ先の周りでは
妊婦さんを中心にさしている人がちらほらいます。
日傘をさすと私も妊婦だと思われるのではないかと心配です。

ご飯は、もちろんオシュで
食後はケーキ。これも甘くておいしかったです。










来年はウズ式に、自分で主催してみようかな。

2012年7月13日金曜日

ヒライのウルルン滞在記2


(続き)


さて、モヒラの親戚の家へ行くと
女性陣が大きな木の下にテーブルをひろげ保存食をつくっていました。

大量のトマトジュース。


ひき肉をつくるような器具でトマトをどんどんおろします。
ちなみにこの美人な嫁は21歳。
19歳で結婚して1児の母をやっています。
ウズベキスタンの女性の多くは20歳前後で結婚します。


トマトをおろしたら、漉してジュースにします。



搾りかすは、ピーマン、たまねぎ、ニンニクなどとあわせて
大鍋で煮詰めます。



これは「イクラ」というらしい。
毎年夏に大量につくって、保存しておくそうです。
ナンといっしょに食べたらとてもおいしかったです。


大人たちが作業している間、子どもたちはそばで勝手に遊んでいます。

大家族って、そういうところがいいよね。嫁は大変そうだけど。


 

右の写真の女の子がモヒラ。かわいいでしょ?

作業が終わったら、そのまま外で食事が始まりました。


オシュとトマトサラダ。

オシュはウズベキスタン料理の代表で
たまねぎとにんじん、肉などを刻み
お米といっしょに油で炒めたのちに炊いたもの。

トマトサラダはトマト、きゅうり、たまねぎとミントに塩をかけてつくります。
ウズベキスタンの乾燥した気候は、野菜や果物づくりに適しているらしく
野菜も果物も味が濃くてとてもおいしいです。

そうこうしているうちに、男の人たちが帰ってきました。

2人ともそれぞれ孫がいます。
ひげの人は40代半ばで、おじいちゃんには見えませんが
ウズベキスタンではそれが平均的な年のとり方なんですね。

こうやってたくさんのウズベキスタン人に会うと
会う人ごとに、名前と日本人だということはもちろん
「年齢はいくつだ」「結婚しているのか」「いつ結婚するのか」
などと質問されます。
30歳を過ぎて結婚していないなんて、どういうことなんだ!?
と思うらしいです。
「お前の結婚式はいつだ?」とか言われたって
「そんなの、私が知りたいよ!」という感じですが。

一番しつこく聞いてきたおばさんに
「日本にはいい男性がいないし」と答えたら
「いい男性がいないとはどういうことか?
 お酒をたくさん飲んだりタバコを吸ったりするのか?」
とさらに質問が。
いやー、その辺はかまわないんだけど、なんというかさー
ウズベク語で説明できないんだけど、うーん……
と、さらに困りました。

ウズベキスタンの夏は日が長いのですが
それもいよいよ暮れてきたころ
モヒラのお父さんがまた現れて、ヒライの長い一日は終わりました。

思いがけず「フツーのウズベキスタン人の生活」が
垣間見られて充実した週末でした。

2012年7月12日木曜日

ヒライのウルルン滞在記1

「ウルルン滞在記」といっても、感動的なことは何もありゃしないんだけど
ホームステイ第1週目の土曜日の様子を写真でご紹介します。

朝、ヒマでウロウロしていたら、モヒラのお父さんと会いました。


モヒラのお父さんは言いました。
「わはは。お前は、最近モヒラがよく話している日本人だな! わはは。
 お前、今からうちに来るか? わはは」
私はもちろんついていくことにしました。

でも、家についたら肝心のモヒラがいません。
お父さん「おい、いま帰ったぞ。モヒラはどこだ。日本人をつれてきてやったぞ」
お母さん「あら、やだ。モヒラは朝、親戚の家にやったじゃないですか」
お父さん「なんだ、モヒラはいないのか! せっかく日本人をつれてきたのに!」
お母さん「大声を出したって、いないものはいないんだもの」
お父さん「まったく! 困ったやつらだ! まったく!」
お母さん「ちょっと、お兄ちゃん、この日本人の相手をしてあげて」

というわけで、モヒラとミルサイドのお兄さんで
入試まで3週間の受験生が登場しました。申し訳ない。

彼に家を案内してもらいます。

家は典型的なウズベキスタンの造りで、コの字型をしています。
コの字の真ん中は畑で、今はレモンとブドウが青い実をつけていました。
大量のトマトも干してあります。



男たちは庭造りに精を出しています。


お母さんは洗濯。お母さんの左手がかかっている水色の機械が洗濯機です。



洗濯機といっても、ボタンを押すと中の水がぐるぐる回るだけ。
ウズベキスタンではまだ手洗いの家庭も多いようです。

コの字型の建物の半分は、牛舎です。


















牛は全部で4頭いました。

自家製のヨーグルトをいただいたら、めっちゃおいしかったです。

ただ、牛舎が隣接しているせいで
ハエ(pashsha)が半端なくいます。
これはハエをとるためのシート。



リアルなハエの絵を描いたシートで、表面がベトベトしています。たぶん。
触っていないので想像ですけど。
ハエが「仲間がいっぱいとまっているから、何かおいしいものなのかも~」
と降りると、足がくっついてしまうという仕組みでしょうか。
かなりの数のハエが罠にかかっていました。

一通り話が尽きると「つーか、お前、女子のほうがいいんじゃね?」
という感じで、今度は高校生のお姉さんとその友だちの
女子高生2人組に預けられました。
そしてよくわからないままに気づけば2人の高校に。









どうやら2人は修了証と成績表を受け取りにきたようです。
1人はオール5、もう1人もそれに近いいい成績でした。

うちへ帰ると、お父さんが言いました。
「おい日本人、モヒラのところへ行くか?」
というわけで2軒目のお宅訪問です。

(続く)

2012年7月11日水曜日

不思議な家族


先週の月曜日から、タシケントのとある家庭にホームステイしている。

タシケントの丸の内的な場所に位置するJICA事務所からバスで15分。
古い公団住宅のような建物が並ぶうちの1軒で
ホストファミリーは、40代の女性1人である。
ダンナさんはすでに亡くなっていて、一人娘は2年前に結婚。
普段はダンナさんの実家にいることが多いらしいが
ホームステイを受け入れている期間はこのアパートに住んでいる。
彼女のことを私は「オパ」(ウズベク語で「お姉さん」の意味)と呼んでいる。

この家には、毎日のように2人の子どもが来る。
オパの義弟の子どもで、兄のミルサイドが14歳、妹のモヒラが11歳。
2人がにぎやかなのでずいぶん助かっている。

モヒラは、私のなかの「11歳の女の子」のイメージよりちょっと幼い。
この前はいっしょにプールに行けなくて大泣きしたし
いっしょに出かけるときは私とずっと手をつないでいる。
とてもかわいい。

ミルサイドは逆にちょっと大人な感じがする。
家の仕事をよく手伝うし
「よくわからない外国人」であるところの私に対しても
自然な態度で親切にしてくれる。
仮に私の弟が14歳だったときに、うちに外国人がステイしていても
こんな感じにはならなかっただろう。

親子のようで親子ではない3人と、外国人の私という4人家族は
ちょっと不思議な組み合わせだけど
1週間目にしてはだいぶしっくりきている、と思う。
あまりに普通に生活しているので
夜、ベッドの中で昔のことを思い出しながら
「それにしても、私は今、ウズベキスタンなんて国にいて
 ウズベキスタン人と暮らしているんだもんなあ」と改めて考えたりすると
突拍子がなさすぎてクラクラしてしまう。

ホームステイは今月いっぱいなので
その間だけはできるだけ彼らといっしょの時間を過ごしたい。

2012年7月10日火曜日

尾籠な話で恐縮ですが


ほかのJOCV(青年海外協力隊)が派遣される多くの国と異なり
ウズベキスタンではマラリアもデング熱も関係ない。
一番恐ろしいのは旅行者下痢症である。

○水が違う(硬水)
○油が違う(綿花の油)。しかも料理に油を大量に使う
○客人にたくさん食べさせたがる心優しき人々が多い

などの理由に加え、暑さと慣れない海外生活にやられて
とくに夏にウズベキスタンに派遣された隊員は
たいていお腹を壊すらしい。

私も到着3日目の昼から雲行きが怪しくなったが
それでも変わらずに食事をとり続け
「この状態なら、むしろ痩せられていいのではないか」
などと考えていた。

ナメた態度がたたったのか
到着5日目の朝、気分の悪さがレベルアップした。
移動中の地下鉄でも座り込みたいほどツライ。
その日は現地語学訓練の初日で
レベルチェックテストがあったのだが
最悪なことにその最中に吐き気がMAXに達した。
ウズベク語を考えることができず
「先生、ケチラサス、トイレに行ってもいいですか」
と、日本語で押し通してトイレで嘔吐。
さすがにその日は絶食した。
健康管理の先生に(事務所に「保健室の先生」みたいな人がいる)
「2、3日食べなくても死なないわよ」と笑われて
「そんなものか」とは思ったが。

そのまま絶食が続けば、さすがのヒライも痩せたと思うが
私の丈夫なお腹は、次の日にあっさりと治ってしまった。
治って最初に食べたのは
バザールの屋外にある食堂のシャシリク(串刺しの焼肉)である。
たとえ元気な人でも食べないほうがよさそうな粗っぽい料理だったが
なんの問題も起きなかった。

それから毎日、私は
ウズベキスタンのおいしくて油っこい料理を食べ続けている。
ホームステイが始まったので
朝と晩は「オリーン攻撃」
(「オリーン」は「食べてください」の意味で、ウズ人がよく言う)があり
さすがに全部は食べないが、腹八分目で終わらせられるはずがない。

私の場合、もう一度くらい、お腹を壊したほうがいいのかもしれない。