2012年12月31日月曜日

タシケントの冬

確か11月中旬に初雪が降って
でもそれは「みぞれ」って感じで。
12月に何回か雪が降って
ようやくタシケントの冬を実感できるようになった。

雪が降り続くような寒い日は
タシケントの気温は0度より低いままだ。
でも空気が乾燥しているので
気温の割に寒さは感じない。
肌の空気に触れている部分はピリピリするけれど
冷えが体の芯まで来ない感じ。
これからもっと寒くなったら
そんな悠長なことを言っていられなくなるかもしれないけど。

雪もいい。
乾燥しているのでベチョベチョしない。
ある日、晴れているのにヒラヒラと雪片が降ってきた。
見上げると、街路樹に積もった雪が
粉状のままそこにあって
風で少しずつ落ちているのだった。

雪かきも、スコップで掘ったあと
ほうきで掃いている。
それくらい雪がサラサラしている。

初雪が降ると、カップルは「初雪おめでとう」というメールを
送りあうそうだ。
このサラサラした雪なら
そういうロマンチックなことも似合う気がする。

写真は、雪の中の法科大学、その向かいのアムールティムール広場、雪をほうきで掃くおじさん

2012年12月20日木曜日

ロシア語を習ってみた

1ヶ月半前から、ロシア語を習い始めた。

私の周りの日本人から集めた情報によると
ロシア語の家庭教師をつけた場合の相場は
1回10ドルである。
月給200~300ドルという話なのに
語学教師の時給はずいぶん高く設定されている。

それで、同期のたろうさんが
「もっと安く習えるはずだ」と言って
1ヶ月・週2回・3人、で
1人10万スム(約3000円)の塾を見つけてきた。
生徒は日本人3人。英語でロシア語を教えてくれる。

と、サラッと書いたが
日本のように
ネット上にスクール情報がまとまっているわけではないし
スクールのマネジメントもなってないしで
レッスンが開始に至るまで
たろうさんはとても苦労したらしい。
私はその成果にひょいっと便乗したのである。

☆ ☆ ☆

ロシア語はとても文法が面倒な言語である。

日本語だと、格助詞をつけることで
単語の「格」が決まる。
たとえば、「が」がついたらそれは主語だし
「を」がついたら「目的語」だとわかる。

ロシア語は、それを各単語の語尾変化によって表す。
各単語には、主語のバージョンとか直接目的語のバージョンとか
6通りのバージョンがあり
格の違いだけでなく、後に続く単語の性(男性・女性・中性)も
変化の仕方に影響する。

つまり、やたらと変化するのである。
名詞も動詞も形容詞も、みんなガンガン変化する。

だから、ロシア語を習うとなると
どうしても構造シラバスになりがちである。
少なくとも私にはそう見える。
構造シラバスというのは
文法を中心に学習を進めていくカリキュラムのことである。
ほかに、機能シラバス、場面シラバス、話題シラバスなどがある。

ロシア語をマスターするためには
難しい文法をしっかり理解しなければならない。
だから構造シラバスだ、というのはよくわかる。
しかし、私は2年という期限付きの生活のなかで
周りの人とおしゃべりできるようになったらいいなー
という目的のためにロシア語を習っているわけだから
場面シラバスでもいいんじゃないかと思う。
たとえば「バザールでの会話」というテーマで
会話例を練習しておぼえる。次は「タクシー」というように。

なんてことを考えていたのだが
「それ以前の問題」が発生した。

☆ ☆ ☆

昨日の昼、塾からロシア語で電話がかかってきた。

ロシア語を習い始めた学習者に
ロシア語で電話をかけるなんてどうかしてると思うのだが
幸い、私の同僚はロシア語話者で、かつ日本語ペラペラなので
電話を代わってもらう。

同僚が通訳する。
「先生はいなくなりました。もうタシケントに戻りません。
 続けたいなら代わりの先生を探しますが
 いま年末なので、年明けの再開をめざす方向でどうでしょう?」

想像のナナメ上をいく展開である。

「先生がいなくなった」???
先週の金曜日には、私たちにたっぷり宿題を出していたカミラが?
そのときには続けるつもりだったのか
宿題はカモフラージュだったのか。
今となっては藪の中である。

とりあえず、塾のマネジメントに問題がありすぎるので
再開は希望せず、各自で独学、ということになった。

独学かあ……。
私がロシア語を話せるようになる日は遠そうである。

2012年12月14日金曜日

美人が多い国


ウズの女子の美人率はとても高い。

ドン小西も一押し。
「これは必見!!ウズベキスタンの美人特集の巻」(2011-11-05)
http://ameblo.jp/don-konishi/entry-11066478970.html

↑これ、ファッション業界だから特別に美人が多いというわけではなく
一般的にこんなレベル。
金髪長身美人もいるが
最後の「バーカウンターの女の子」みたいな
黒髪のエキゾチックタイプが多い。

先日、タシケントにある日本人材開発センターのご好意で
当校の1年生に浴衣を着せていただいた。
そしたら、もともと美人な女子たちが
さらに美人になっちゃって
クラスメイトの男子たちはデレデレだった。

浴衣美人になった女子を並べて写真も撮ったんだけど
公開するのがもったいないので、ここには掲載しない。

代わりに、書道クラブを開催したときの
エルドルくんの写真をどうぞ。



「自由に書いてください」といったらこうなった。

2012年12月11日火曜日

世界遺産で熱唱


ウズの大統領の娘、カリモヴァ・グリナラ氏は
政治、会社経営、ファッションデザイナーなどなど
七面六臂の活躍ぶりで、
タシケントの中心部にあるキレイなお店は
アパレルもレストランもスーパーも
全部グリナラ氏の経営なんじゃないかというくらいの人物である。

そんな彼女が出したCDのPV。


世界遺産の都市・ブハラを舞台にしたPVが
さすがの美しさです。

2012年12月10日月曜日

ウズから衆院選に投票してみた


日本で衆議院議員選挙が行われるに先立ち、
ウズでも在外投票が行われました。

私も在ウズベキスタン日本大使館の一室で投票してきましたが
その間、ほかの投票者はいませんでした。
領事が私だけのために投票の仕方を説明してくれて
私が投票用紙やら封筒やらにモタモタと記入している間、
立会人と2人でじっと待っているので
なんだか申し訳ない気持ちになりましたよ。

ところでウズでは何人が投票したのでしょうか。

私は住所が確定してからすぐに在外選挙証の申請をしていて
今回の選挙にギリギリ間に合いました。
ということは、私より後に来ウズした人には
選挙人証がないということです。
選挙権がある人が100人くらいで
日本の投票率と同じ7割の人が投票すれば70人ですが
私の勝手な感触では、そこまでの人数は投票に来ていなさそうです。
用意されていた封筒などを見るに
その半分も来なかったんじゃないかなあ。

わずかな人数のために、会場を設営し、立会人を雇い
大使館の人が準備してくださっているわけで
これはなかなか重い1票だなあと思いました。

2012年12月9日日曜日

タシケントの日本人


日本には840人のウズベキスタン出身者がいるそうです。
(2012年6月現在:法務省)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/uzbekistan/data.html

対して、ウズベキスタンにいる日本人は
138人(2012年10月現在)。
JICAの隊員が37人、職員や専門家が15人、その家族17人(2012年12月現在)なので
ちょうど半分がJICA関係者ということになります。

ほかは、約4分の1が大使館関係で
残りの4分の1は、国際交流基金関係がたぶん5人、日本語教師が6人、留学生が3人、
それから、私は交流がないけれど、商社の人も少しいるらしいです。

大使館の人は、たぶん全員について把握しているし
私でさえ、半分以上の人を知っているほどの規模です。

 ☆ ☆ ☆

さて、今夜は日本人会の忘年会だというので
私の知らない在ウズ日本人を見に行きました。

……が、だいたい所属組織ごとにまとまってしまっていて
初対面の人とゆっくり話すような機会はありませんでした。残念。

パッと見は普通の日本人の集まりでしたが
まあ、パッと見から変わった人ってそうそういないので
実際のところはよくわかりません。
民間企業の立場でウズで仕事をすると、この国がどう見えるのか
ぜひいつか聞いてみたいです。

2012年11月20日火曜日

親バカ日記

土曜日、ある1年生がセンターに来ると言っていたのに来なかった。

でも、しっかり約束したわけじゃなかったし
あーあまただよ、くらいにしか思っていなかった。

出先に置き忘れてしまったケータイを届けてもらったら
(ものを置き忘れることにおいて、私の右に出る者はいない)
SMSが届いていた。

「Konnichia sensee, kyou shigoto ga arimas kara,
 2:30 ni senta e ikimasen. Sumimasen.」

そっかー、ちゃんと連絡くれてたんだな。
1年生が私のケータイあてに連絡をくれたの、初めてだな……。

て・い・う・か

日本語じゃん!!

最初、サラッと読んでしまったが
これは彼が書いた日本語のメール第1号である。
その割に、ちゃんとしてると思いませんか?
私はもう感動してしまって
「日本語が上手ですね! いいですね!」と返信した。

また返信が来た。

「Doumo arigatou gozaimasu !
 Demo, watashi wa nihon go ga mada amari jouzu ja arimasen.」

なんと、謙遜まで! すばらしすぎるよ、武(←私がつけた日本名)!!
「まだ」「あまり」の使い方もバッチリ。

こういう、勝手に成長してくれる学生がいるので
本当に助けられています。

2012年10月28日日曜日

勝手にドナルド

ウズにはマクドナルドがありません。
ケンタッキーフライドチキンも、サブウェイも、スターバックスもありません。

タシケントには大きくてキレイな複合商業施設もあり
一見、「マクドナルドがあってもよさそうな街」にも見えますが
外国資本のサービス業は入れない方針なんだと思います。

ホテル業では、インターコンチとインドのタタ資本のホテルが
過去にありましたが
現在は別の名前になっています。

でも、ときにはこんなことも。
あ! 大学の裏のショッピングモールにカーネルさんが!


近づいてみると……


「KFC(ケンタッキー・フライド・チキン)」じゃなくて
FC(チャンピオン・フライド・チキン)」だ!!

しかもこの看板の本当にすごいところは
別にあるのです。

なんと……


この商業施設内にはKFCもCFCもないのです。


なんというトマソン!
この看板は芸術作品なのかもしれません。

ちなみに、タシケントの別の場所には
ちゃんと営業しているCFCがあるらしいです。

かように外資系ファストフードのないタシケントですが
今日はマクドナルドに近いお店を発見しました。


その名は「BIG BURGER」。
赤字に白抜きのロゴはバーガーキングっぽいですね。



そしてこのカウンター!
と、写真を載せても日本のマクドナルドと同じなので
つまらないと思いますが
撮ったとき、私は一人で大興奮でした。

確かにタシケントにも
オリジナルのハンバーガーショップはあります。
でも、そういうお店に入ったときに
「マックだ!」とは思わなかった。

白くてツルッとした店内。
写真+商品名+価格で、わかりやすいメニュー。
レジカウンター内の機器の配置。
客席のデザインと間隔。
箱に入ったポテトと紙に包まれたハンバーガー。
そういったディティールの一つ一つが
「なんだかとてもマック」なのです。

客層もウズベク色が薄い感じでした。
ヨーロッパっぽい人と韓国っぽい人が多めで
ウズベク人でも、ファッションはヨーロッパ系の人たちが
ノートパソコンをいじりながらおしゃべりしています。

メニューは、ハンバーガー単品6900スム(207円)~、
セット10900スム(327円)~と、かなり高いです。
別のレストランでは、チーズバーガーとフライドポテト、コーラが
確か7500スム(225円)くらいで、それでも「高い」と思いましたから。

あと、なぜかメニューが英語表記のみでした。
これは、ウズ語+ロシア語併記が基本のウズにおいて
特筆すべきことです。



ウズっぽい点もありました。
まず、店員が「スマイル有料」なんじゃないかというほど愛想がない。
ウズ人はとても人なつこくて親切な人たちですが
サービス業に就くと、そのホスピタリティをまったく発揮しません。
仕事も遅くて、私が注文するまでに5分(前に1組しかいなかったのに)、
注文から商品提供まで14分かかりました。
日本基準に照らし合わせると、「ファスト」とはいえません。

そうなると、カウンターに注文がたくさんたまってしまいますが
店員さんが呼び鈴を鳴らすと、なぜか該当の客がカウンターに来て
なぜか店員さんは客の注文をおぼえていて
商品を渡しています。
この辺の空気の読み合いと記憶力のよさもウズっぽいです。

キッズセットの箱がデ○ズニーキャラだったのも
ウズっぽいですねえ。
たぶん正規じゃないと思うんだけど。
しかもキッズセット、8つあるセットメニューのなかで
2番めに高かった。
いったいどんなおまけがついてくるのか
試してもよかったなと、ちょっと後悔しています。

2012年10月20日土曜日

竜男さん・つとむくん・美春さん

1ヶ月で11人もの学生がやめてしまったことは前回書きましたが
本当に厳しくなるのはこれからです。

今週は漢字の勉強が始まりました。

ひらがな46文字、カタカナ45文字。
そのときも
「先生、ひらがなだけで大丈夫。カタカナは必要ありません!」
と言われたのに
これからは漢字を1週間に20個ずつおぼえることになります。
なんというス・パ・ル・タ!

「大変すぎてみんなやめちゃったらどうしよう……」と
今もビクビクしています。

しかし、1人の学生が私にした質問で
ちょっとだけ気が晴れました。

その質問とは

「先生、トルネード、漢字でどう書きますか?」

です。

え? トルネードって、たつまきのこと?
ウズベキスタンにたつまきがありますか?

「ありません。アメリカにあります」

はあ。確かにアメリカにはあるけどね?
あの、たつまきは「竜巻」って書きます。

「ここ(自分のノート)に大きく書いてください」

ページいっぱいに「竜巻」と書きました。
そしたら彼は隣のページに同じように書いて
「どうですか?」と聞いてきます。

そうかあ、こんなふうに漢字に興味をもってくれる学生もいるんだなあ、と
うれしくなりました。
だって、まるで実用性がないのに! 竜巻って!
語学って実用性だけじゃないんだなあと感心しました。

「先生、私の名前を漢字で書けますか?」

次の質問は普通でした。
でも、彼の名前は、すぐに漢字を思いつく音ではなかったんですね。
だから「日本の名前をあげます。『竜男』です! どうですか?」
と言いました。これは我ながらいい思いつきでした。
だって彼は「たつお」って感じなんですよ。

彼は「『たつまき』は音もカッコイイと思うんですけど」と
思わぬ執着を見せましたが
でも、「たつまき」って、名前には聞こえないよ。
「竜男」は「ドラゴン」の「おとこ」だよ、と説明したら気に入ったようでした。

さて、このやりとりをほかに2人の学生が聞いていまして。
当然、2人の名前はどうする? となりました。

1人は、「勤勉」「努力」といった意味の名前だというので
「努(つとむ)」としました。
彼がまた、「つとむくん」っぽい顔なんです。
これもかなりの自信作です。

もう1人の女の子は、「ハル」で終わる名前だったので
「美春(みはる)」としました。
これも、似合ってないこともないんですけど
元の名前の意味は「宝石」らしいんです。
そういう日本の名前があったら教えてください。

さあ、うちのクラスにはあと21人いるわけですが
日本名or漢字の当て字がほしい学生は何人いるのか。
考えると気が遠くなりますが
それくらいで漢字の勉強をがんばってくれるなら
じゃんじゃん名付けようと思います。

2012年10月19日金曜日

日本語バトルロワイアル・35名→24名

授業が始まって1ヶ月が経ちました。

私の赴任先は、法律の単科大学です。
卒業生は、検察官や弁護士、裁判官になったり、司法省に勤めたりします。

そもそもウズベキスタンで日本語を学習しても
日本語を使う仕事に就けることは極稀ですが
当校の卒業生は、とくに日本語を使うことがありません。

では、なぜ学ぶのか。
そこには名古屋大学の国際協力が関係しています。

名古屋大学法学部・大学院法学研究科は、
現在、ウズ、モンゴル、カンボジア、ベトナムの各法科大学と
協力して日本法教育研究センターを運営し
日本の法律を教えています。
西欧の法律を受け継いで自国の経済を成長させた日本の経験を
市場経済化の途上にある国に伝えようとしているのです。

このセンターの特徴は、日本語で日本法の教育を行なっていること。
「法は長い年月をかけて培われてきたその国の文化の一部であり、
 他言語の単語に置き換えることができない」との考えから
センター生に対してまず日本語の授業を行い
日本語を習得した学生に対して日本語で日本法を教授しています。

学生の視点からすると、日本語を学び、日本社会や日本の法律を知ることで
さまざまな角度から法律を考えられるようになり
将来は広い視野をもった法律家として活躍できる……という建前ですが
実際は、「日本に留学できるらしい」とか「なんとなく」といった動機で
センターに入ってくる学生も多いかと思います。

さて、このセンター、ウズでは正規授業になっていません。
つまり単位にならない!
毎日、午前中は法律の授業、午後は日本語の授業というハードスケジュール。
しかも日本語は1年で初級を終わらせるという
日本語専攻の学生並のインテンシブコースでありながら
扱いはクラブ活動みたいな状態です。

当然「やってられるか!」という学生も多数でてきます。
それは、もう、仕方ない。
だから、最初に多めに学生をとります。

今年は35名が入所しました。
初めての授業は9月17日。

1ヶ月経ったいま、残っている学生は……

24人!

ずいぶん減っちゃいました。
例年通りとはいえ、学生がやめるたびに
「私にもっといい授業ができていたら、この人はやめなかったのだろうか」と
心がいたみます。
でも、あまり人が多くても、語学の授業がやりにくいのも事実。
せめて、まだ頑張っている学生たちが、楽しく、楽に日本語を勉強できるよう
工夫していきたいと思います。

2012年10月18日木曜日

ウズで買えない食材


7月はじめに撮ったバザールの写真です。
いい写真がなくてすみません。

さて、前回はウズの食材についてつらつらと書きましたが
今回は手に入りにくいものについて書いてみます。

1.豚肉
ウズは「なんちゃってイスラム」と聞いてきましたが
さすがに豚肉は食べる習慣がないようです。
でも、朝鮮系の商店・飲食店が多いエリアがあり
そこでは買えるらしいです。
あと、うちの近くのバザールの、最奥にある建物の最奥でも買えます。
ただ、かたまりで買うことになるので
しょうが焼きなどをつくるときは、自分で薄く切ることになります。

ついでにいうと、「小分けされた肉」も見ません。
牛肉はかたまりかひき肉、鶏肉は1羽で売っていることが多いです。

2.東アジア系の食材
ウズには日本の食材はほとんどありませんが
朝鮮系の人が多く住んでいるので
朝鮮系の食材が買えるエリアがタシケントに1ヶ所あります。
またうちの近くのバザールにも、隅っこのほうに
キムチやナムルを大量に並べて売っているエリアがあり
そこでは、キムチのほか、運がよければ豆腐も買えるし
もやしやしょうが、韓国製しょうゆ、韓国のり、ごま油も買えます。
逆にいえば、それらはどこでも売っているわけではありません。

日本にしかない食材、たとえばかつおぶし、お好み焼きソース、
日本のノリなどは手に入りません(たぶん)。
私の場合、醤油、出汁醤油、味噌、だしの素、みりん、カレーのルーは、
自分で持ってきたものを使っています。
これらがなくなる前に、ウズ料理をつくれるようにならないといけませんね。

3.新鮮な魚介類
内陸国に囲まれた二重内陸国であるウズには
新鮮な海の魚はありません。
なんだか大きな川魚が売られていますが、あまりおいしそうじゃない……。
冷凍の魚やエビもありますが、かなり高いです。

先日、冷凍のうなぎの蒲焼を見かけてびっくりしたのですが
値段を見たら147000スム(約4410円)で、さらにびっくり。
牛肉が10キロくらい買える値段でした。

海藻系もほとんどないはず。韓国のりくらいです。


4.輸入品
ウズでは、輸入品がとても高いです。
日用品もそうですし、チョコレートなども世界的なブランドのものは高いです。

辛ラーメンも売っていますが
ほかのインスタントラーメンが、小500スム~大2000スムのところ
辛ラーメンは小3000スム、大4000スム。
でもほかよりスープにコクがあっておいしい気がして、私はたまに買っちゃいます。

5.調理済み食材
冷凍ペリメニ(小さな水餃子みたいなもの)はよく見るのですが
そのほかの冷凍食品や、レトルト食品は見たことがありません。
餃子っぽい料理もあるけど、皮だけでは売っていない。
各家庭でイチから作っているということなんでしょう。
働いている女性も多いのに、大変だなあと思います。

以上、「ひらいの身の回り調べ」でした。

2012年10月15日月曜日

ウズで買える食材

今日の晩ご飯は、タイ料理のラープでした。
先週・先々週は、天ぷらやら豚のしょうが焼きやらをつくりました。

こんなことをTwitterでつぶやいていると
「ウズにはなんでも売っているの!?」と聞かれます。
もちろん、なんでも売っているわけじゃありません。
調味料はかなり日本からもってきたものに頼っています。

今日は、ウズで買える食材と買えない食材について
まとめてみます。

※お断り※
私のうちの近所のバザールは
全体的にほかより高い(らしい)うえ
私が価格交渉をあまりしないので
以下で紹介する価格はちょっと高めだと思います。
ご了承ください。

○ウズで簡単に買える食材
1.野菜
基本的に野菜と果物は安くておいしいです。


玉ねぎじゃがいもニンジンはいつでも買えて(たぶん)
今日は、玉ねぎ1キロ600スム、じゃがいも1キロ1200スムでした。

※1000スム=約30円とお考えください。詳しくはこちら


夏なら、トマトキュウリナスピーマンあたりが
1キロ1000スム程度で買えましたが
秋になってから、それらの野菜はだいぶ高くなりました。

逆に秋になって登場したのがカボチャ
日本のものより少し水っぽくて皮が硬いのですが、十分おいしいです。
かなり大きいのですが、バザールでキロ売りしているのがありがたい。
先日は1キロ2000スムで買いました。

上記に挙げた野菜は、安くてどこでも買えるので
ウズベク料理は基本的に上記の野菜をベースにつくられます。

キャベツレタスほうれん草などの葉物も売っていますが
ほかの野菜に比べて割高な気がします。
今日、キャベツは1玉3000スム、ほうれん草は1把1000スムでした。

2.果物
ウズのいいところといえば、多くのウズ在住日本人が
果物の安さとおいしさを挙げるのではないでしょうか。

とくに夏のスイカメロンは絶品です。
しかも持ち帰るのがやっとなくらいの大きさなものが3000スム程度。

↑道端でゴロゴロ売られている。

ほか、リンゴブドウモモをよく見かけます。
秋になって、ザクロも登場しました。

ウズはとにかく乾燥しているので
干したブドウやアンズもおいしいらしいのですが
それらはまだ買ったことがありません。


3.肉類
イスラム圏なので、豚肉は手に入りにくいのですが
牛肉鶏肉はどこでも売っています。
羊肉も売っているはずです。
もちろんも売っています。1個350~450スム。

乳製品やソーセージ類は売っているけど、安くありません。
ウズでは、加工品はだいたい割高です。

4.油
ウズ料理のとくちょうのひとつが、油っこさ。
代表料理のオシュなんて、油で米を炊くようなものですからね。

油の種類は、綿花油。
綿花栽培がさかんだからです
って、ちゃんと確認したことないですけど、確かそのはず。
ちなみに、前任者が置いていった私の家の油はヒマワリの油です。

5.小麦粉
小麦粉はよく使うので当然どこでも買えますが
基本、強力粉だと聞きました。
私が適当に買ってきた小麦粉も強力粉。
天ぷらもこれで揚げました。

6.米
ウズの代表的な伝統料理はオシュという米料理です。
当然、米も売っています。
ただ、オシュ以外の米料理はそれほどないようです。
レストランでは、肉料理の付け合せとして
フライドポテト、豆と並んで、米が選べたりします。

7.麺類
「ククス」という乾麺が売られていて、これはほぼうどんです。
料理をつくる気がしないときは、これをゆで、
日本からもってきた出汁醤油を麺つゆにして食べています。

ほかにも、インスタントラーメンやパスタ類もたくさん売られています。
でも日本みたいにパスタソースとか、「混ぜるだけ」系のものはありません。
ウズベク人はどうやってパスタを食べてるんだろう。
そういえば、まだウズベク人のお宅でパスタを食べたことがありません。
たくさん売っているので、よく食べているはずなんですけどね。


8.その他
こうやって書いていくとキリがないので、最後に4つ。
パクチー、クミン、ミント、クカットは、ウズベク料理によく使われているし
簡単に手に入ります。
今日はパクチーを2束500スムで買いました。
クカットというのは、おかひじきみたいな見た目の香草で
ウズでは、トマトベースの料理の上によくちらしてあります。
名前、ちょっと自信がありませんが、そんな感じに聞こえます。


長くなったので、買えない食材については、次回書きます。

2012年10月10日水曜日

禁酒法?続報

どうしてお酒が売っていないのー?
と、同僚の先生に聞いたら

「今度、お酒に関する法律がいろいろ変わるんです。
 飲酒運転や未成年者の飲酒を厳しく取り締まるための。
 それで一時的に閉めているだけだと思います」

とのことでした。

ちょっと拍子抜け。

うーん、でもさ。
酒屋は閉めている間、収入が途絶えるわけで
業界にとっては、けっこうな痛手だと思うんだけど
そういう現場のことより、制度が優先するって
やっぱりトップダ……

とか、政治に踏み込んだことを書くと怒られちゃうので
この話題はこの辺で~。

ではまた。

2012年10月8日月曜日

禁酒法?


タシケント市内でお酒が買えなくなっているようです。

最初に異変に気づいたのは先週の水曜日。
同じ職場のK先生宅にお邪魔したとき
お酒を買っていこうとしたのですが
先生のお宅の近くのウォッカ屋も酒屋も閉まっていました。
この2軒は細い道をはさんで隣同士なので
両方とも早い時間に閉まっているのは不思議な感じがしました。

でも私は家で一人で飲む習慣がないので
そのことを忘れてしまいました。

今日、ふと思い立ち、ビールを買いに行きました。

ウズにはイスラム教徒が多いのですが
それほど厳しく戒律を守っていない人も多く
お酒が飲める飲食店も、お酒を売っているマガジン(商店)も酒屋もあります。

私はいつも前を通り過ぎるだけだったオシャレな酒屋に初めて入りました。
友だちと2人で「これはビールかなあ」などとしゃべっていると
店員が英語で「これはビールだけど、売れない。
 ビールがほしいなら、角のマガジンで売っているのでそこへ行け」と言います。
「マガジンなんてあったかなあ」と思いながら店を出て
角まで行きましたが、マガジンはありません。

そこの交差点を渡った先の角には、大きくてキレイなスーパーがありますが
そこは酒類を扱っていないことを私は知っていました。

しかもそのスーパー、もう2週間くらい閉まっているんです。
私は先週、気づいたときに、貼り紙を写真に撮って
ロシア語話者に訳してもらいました。
「『清掃日。お買い物はSHEDEVRで』と書いてありますね。
 でもこれは清掃じゃないでしょうね……」とその人は言いました。

この国では、いろいろな物事が
ある日を堺に、スッと音もなく変わります。
人々はいちいち騒ぎ立てることなく、ただその理由をささやきあいます。
流行っていたお店が急に閉店するのはよくある話。
7月には、最大手の通信会社が急に営業を停止しました。
そのときも人々は、ケータイやネットが使えないことに文句も言わず
別の通信会社のショップに列をつくって、新しいSIMカードを買っていました。

私はそのスーパーが、「今日だけお休みです」という顔をして
長い間、閉まっていることに居心地の悪さを感じながら
前を通りすぎて、K先生のお宅の近くの酒屋まで行きました。

酒屋(ビールもウォッカも売っている)は開いていましたが
商品はあまりありませんでした。
でもとにかく私はビールを買うことができました。

道を挟んで隣のウォッカ屋(ウォッカしか売っていない)は
やはり閉まっていました。
扉に貼り紙があったので、写真を撮って帰りました。

貼り紙は以下の文面です。

Все алкольные магазины по
городу ташкенту закрыты!!!
Действующий легион расположен
на кольце РОХАТА!!!
Часы рфаботы с 9 00 до 9 00

翻訳サイトの助けを借りて訳すと、おそらくこんな内容です。


 タシケント市内のすべての酒屋はクローズされます!
 Legion(店名)はРОХАТАで営業中!
 営業時間9:00〜9:00

何かがまた、静かに変わったようです。

2012年9月23日日曜日

ウズの通貨1

ウズベキスタンの通貨は「スム」です。

いま公式レートで、1ドル=1862スム、1円=23.22スムとなっています。

ただし、この国にはもう一つのレートがあります。
1ドル=2800スムくらいかな。
1ドル=80円として、1円=35スム。
ざっくり言って、1.5倍くらい違います。

だから、公式レートはあまり使われていないようです。

闇レートは違法ですが、ウズベク人の金銭感覚を正確にお伝えするために
このブログでは、1円=35スムとして表記していきます。

2012年9月17日月曜日

ウズの結婚式

私情で日本に一時帰国していたこともあり
だいぶ間があいてしまいました。

久しぶりなので、めでたく結婚式の話題でも。

ウズの結婚式はとても盛大です。
だいたい1万ドルかかる。タシケントはそれ以上、とも聞きました。
公務員の月収が200ドルと言われる国で
1万ドルは相当な出費です。
そのためタシケント市は
「結婚式にお金をかけすぎないように」という「おふれ」を出したそうです。

自治体が抑制しようとするほどの結婚式とはどんなものなのでしょうか。
先日、ある結婚披露宴に参列したので
その様子をレポートします。

まず会場に着いてびっくり。
広いホールに列席者がたくさん!
300~400人くらいいたと思います。
その人々は、会場の半分に女性、もう半分に男性と
完全に男女別々に座ってごちそうを食べます。




だいたいどこの結婚披露宴も数百人が集まるそうですが
私が行った披露宴は、会場や出演陣の点で
平均よりも豪華でした。

出演陣というのは……


踊り子たちが10人くらい。
アラビアンナイト! ←勝手なイメージ


有名な歌手も歌います。
この日は何人も歌手が来ていて
とくに写真の人は、オゾドベックという
「大統領に一番近い歌手」でした。

1年交代の日本の首相と違って、この国の大統領は
21年前の独立以来ずっとその地位にいます。
そんな権力者に近い歌手も呼べちゃうという
新婚夫婦の実家の人脈&財力アピールでもあります。
列席者も彼の登場にとても盛り上がっていました。

このように歌→踊り→歌→踊り→……
と延々とやっていくのですが
列席者はこれをぼんやり見ているわけではありません。
歌のときには自分たちも踊ります。
ウズの人たちは踊るのが大好きなのです。

↑わかりづらいですが、踊っている人たち。

そして、特筆すべきはその大音量。
ステージの前に行ったら
音が体に当たってくると感じられるほど
大きな音で音楽をかけます。
とてもじゃないけど、おしゃべりはできません。
この大音量の生歌は、普段、レストランでもよくあるのですが
ウズ人の耳は大丈夫なのでしょうか。

そうそう、新郎新婦の写真も、と思ったら……

こんな写真しかありませんでした。

ウズの結婚披露宴では、ケーキ入刀のような
新郎新婦メインのイベントはないようです。
唯一あったのが、新郎新婦の母親の挨拶。
あとはひたすら食べて踊っておしゃべりです。
(日本人には無理ですが
 ウズ人は大音量のなかでもおしゃべりできます)

このような披露宴のほかにも、
花婿が花嫁の家に行く儀式や
友だちとアイスクリーム屋に行く、
朝、男性が数百人集まってプロフを食べる、など
最低2日間かけてさまざまなことが行われるそうです。

また別の結婚式に参加できたらレポートします。

2012年8月13日月曜日

アパートの紹介

タシケントの私の部屋を紹介します。

1.メインの部屋



8畳よりちょっと広いくらいかな。
ソファでベッド、みたいなものに、ふとんを敷いて寝ています。
ちなみに家具・食器・寝具は備え付けがウズベキスタンの基本です。

奥の窓を開けた先は、外ではなく
ダイニングにつながっています。

2.バルコン



キッチン部分があるので、「ダイニング」と表現しましたが
ウズベク流には「バルコン」ではないかと思います。


ホームステイ先や、内見したほかの物件にも
このような、「大きな窓のついた細長いスペース」がありました。
もしかしたらウズベキスタンのアパートの特徴かもしれません。

「バルコン」の存在は、ウズベク人の伝統的な家の造りと
何か関係があるのでしょうか。

☆☆☆

食器は備え付けといっても
ほかの同期隊員の話を聞くと、足りないものだらけのようです。
でも、うちの場合、前任者の置き土産がたくさんあります。

キッチンの戸棚を開けると……


どーん! と、食器&キッチングッズの山。
ほかの隊員は、ものを買い揃えるところから始めるのに
私は食料以外、ほとんど何も買っていません。
ありがたいことです。

もう1つ、キッチンの横に2m*3mくらいのスペースがあり
そこに冷蔵庫や炊飯器が置いてあります。

3.バス・トイレ






先日、さんざん書いたトイレです。

いまは水は止まっています。
左にチラリと見える赤いものは「たらい」。
洗濯機がないので、服は「たらい」を使って手洗いします。


☆☆☆

ここで「このアパートにぜひ泊まりに来てください」と
締めくくれたらいいのですが
残念ながらウズでは、観光客はホテルに泊まらないといけません。

でも、遊びに来てくれる分には大歓迎!
みなさまのお越しをお待ちしています。

2012年8月11日土曜日

トイレの水が止まりました

今日、昼前に2人目の修理屋さんと、ミツコさんと
知らないお姉さん(またロシア語)が来て
トイレを直してくれました。
そもそもこんなに書くほどのことじゃないのに
ずいぶん時間がかかりました。

ホッとして昼ごはんを食べていたら
またチャイムが鳴りました。

現れたのは、ボブで大柄のコシノジュンコのようなお姉さん。
「私は大家の娘よ。ちょっとトイレを確認するわね。
 ふんふん。直ったみたいね。ほかに問題はない?
 問題があったらうちに電話するのよ」
とまくしたてて帰っていきました。

英語で。

英語が話せる家族がいるんじゃん!

最後にいいオチがつきました。

トイレの水が止まりません・その後


昨日の夕方、お隣さんが、昨日とは別の修理屋さんを連れてきた。
やはりマラットは「ただの近所のおじさん」疑惑。
そしてちょっとトイレを確認して「明日来るから」と言う。

「明日、何時ですか?」
「あ、大丈夫、あなたがいなくても大家がもってる鍵があるから」

大丈夫、というか、私にも心づもりが……

で、いま(土曜日の8:45)、
トイレやシャワーや洗濯(風呂場で手洗い)のタイミングを
はかりかねていたりします。

2012年8月10日金曜日

トイレの水が止まりません


先週、ホームステイから一人暮らしのアパートに引っ越した。

勤務先がタシケントのど真ん中にあるエリート大学なのだが
そこまで歩いて通える超都心のアパートである。
大きめの冷蔵庫も炊飯器も掃除機もあるし
前任者が全部置いていってくれたおかげで
調理器具も日用雑貨もすべて揃っている。

他国の隊員が
「生活用水は1人1日バケツ1杯」とか
「ガスがなくて薪で調理」とか言っているなかで
申し訳なくなるくらいの便利ぶりである。

唯一の難点は、大家さんがロシア語話者だということだ。

ウズベキスタンの公用語はウズベク語だが
21年前までソ連だったので
ロシア人も多く、ロシア語話者も多い。
また、ソ連時代は公教育がロシア語でなされていたので
ウズベク語話者もロシア語を理解する。

大家さんは、宮崎アニメに出てきそうな
背が低くてしわしわで、口だけは達者なおばあちゃんである。
ロシア語話者だが、一応、ウズベク語も話せる。
話せるのだが、話しているうちにロシア語になってしまう。
そして、人の話を聞かずにしゃべり続ける。ロシア語で。

☆☆☆

引っ越してから
トイレの水が完全に止まらないことが気になっていたのだが
大家さんと電話で話すのが面倒でしばらく様子をみていた。
しかし状況は悪化。タンクに水が溜まらないほど
水が流れっぱなしの状態になったので
意を決して大家さんに電話した。

話、通じず。

困って、隣の人に助けを求めた。

うちの隣には、太ったメガネのおばさんが住んでいる。
名前を仮にミツコさんとしたい。
ミツコさんもロシア語話者である。
ウズベク語はほとんど通じない。
しかし、直接会ってしまえば何とかなるもので
トイレに連れて行ったら

「やだ、水が止まらないの? 大家さんには電話した?
 したの? 話は通じた? 通じてないの? どっちなのよ。
 まあ、いいわ、私が電話するわ」

と、たぶん、そういう内容をロシア語でまくしたてて
大家さんに電話してくれた。
そして、結果をまたロシア語でまくしたてる。
これが本当にまったくわからないので
ノートとペンを差し出してみたら、
ミツコさんは、ちょっと考えてから

18.00 Taim Master

と書いた。

ロシア語でも辞書をひけばわかると思ってメモを頼んだが
がんばって英語を書いてくれたようだ。
ミツコさん、親切。

「Taimはなんですか?」
「タイムよ。タイム」
「ああ! soat(ウズ語でo'clockの意味)ですね!」
「そうそう!」

ああ18時に大家さんが来るんだな、と思って朝の部は終了。

☆☆☆

夕方。

18時にミツコさんが修理屋さんを連れてきた。
「Master」は大家さんではなく修理屋さんのことだったらしい。

修理屋さんのマラットは、それが職業の人なのか
単に修理が得意な近所の人なのかよくわからないけど
とにかくよくしゃべるおじいさんだった。

「お前、ロシア語はしゃべれるのか? ウズベク語をしゃべる?
 そりゃあいいや。俺はウズベク語とロシア語と英語を話せるんだ。
 ○×△☆~。
 日本はいいよ。とにかくいい。アキラクロサワを知ってるだろ?
 そうそう、映画監督の。彼はロシアで○×△☆~。
 技術もすごいしな。ソニー、パナソニック。○×△☆~。
 俺はロシア人でもウズベク人でもない。タタール人なんだ。
 ロシアで生まれて……「生まれる」ってわかるか?
 母親からさ、こうやって(ジェスチャー)」

「○×△☆~」の部分は聞き取ることができなかった。
それでも「はあ、はあ」と聞いていたら
ミツコさんがキッチンから私を呼ぶ。
「あなたがトイレにいると、作業が進まないから
 ちょっとこっちにいなさい」
ということらしい。
そして、トイレのほうを見ながら
人差し指でこめかみをトントンとたたいてみせた。
了解でございます、ミツコさん。

そんなこんなで1時間経ったのだが、なんと!

トイレはまったく直らなかった!

頼むよ、マラット!!

そして「いまはバケツで流してしのぎなさい。明日また来るから」
と言い残して2人は去っていった。
うーん、ちゃんと直るのかなあ???

2012年8月1日水曜日

炭水化物の国へようこそ


オパが「ナンを買いにいく」というのでついていったら
公団住宅地の一角にこんな店があった。


この釜とカウンターだけがポツリとある小さな店で
「ナン」というパンを焼いて売っていた。

ウズの「ナン」は、インドの「ナン」とは違うが
釜に張りつけて焼くという点では同じである。
たぶんルーツが同じなのだろう。
オパが「昔は家で焼いたのよ。
 夏は暑くて大変でね。冬はいいんだけど」
といっていた。

ここのナンは、直径2030cmくらいの円形で
表面に、剣山みたいな道具で刺した模様がある。
味はいわゆるパンだが
イーストが入っていないので、がっちりしている。

このナンが、ウズでは毎食必ず出る。

たとえば朝。
私のホームステイ先では
クレープ生地を四角く畳んだブリンチック(блинчик)や
平べったい揚げパン、カトラマ(қатлама)がよく出るが
←右下がカトラマ

同時にナンもある。

また、ラグモン(лагмон)といううどんや
スープにマカロニを入れたマカロン、
水餃子や蒸餃子のような料理など
小麦粉メインの食事にもナンがつく。

当然、ウズの伝統料理オシュ(ピラフのような米料理)にも
ナンがつく。
つく、を超えて
スプーンの代わりにナンを使ってオシュを食べる人もいる。

↑食堂でオシュ(右下)を頼んだら、ノンがついてきた。

朝ごはんに甘いあんこのようなペーストが出て
聞けば、小麦粉と砂糖と油を煮詰めたものだったこともある。
つまり、パンに小麦粉を塗って食べるのである。

どうやらウズ人は、炭水化物とかそういう概念で
ナンをとらえていないようだ。
食事のときに必ずあるもの、それがナンである。

極めつけは、おやつのスイカといっしょに出るナンだ。
スイカとパンって!
でもウズ人にとっては
スイカの水分とナンのパサパサ感がよく合うらしい。

私も2年後には、スイカにパンがつかないと
落ち着かないようになってしまうのだろうか。

※同期隊員のたろうさんも同じことを書いていた。かぶり記念→リンク

2012年7月31日火曜日

都会の牛はスイカを食べる


ホームステイ先は
タシケント市内だし、中心地からバスで15分だし
日本で言えば、杉並区あたりに相当すると思うんだけど


近所に牛がいる。


マンションとマンションの間を闊歩していたり
牛飼いに追い立てられて車道を横断したりしている。
車道って、本当に車がビュンビュン走ってるんだけどさ。

ある朝、オパのゴミ捨てについていったら
生ゴミの入ったバケツを渡されて
「これをあの女の人に渡してきなさい」と言われた。

オパが指差したのは、牛飼いの女性。
近くには、大きな牛が2頭。
私がバケツを渡すと
女性は「Рахмат(ありがとう)」と受け取り
牛の前に中身をぶちまけた。

この牛たちは生ゴミを食べるのか……!

びっくりして見ている私の前で
牛はスイカの皮を猛然と食べた。バリバリと音を立てて。



2012年7月29日日曜日

写真撮影について



この国では、写真を撮ってはいけない場所がたくさんあります。

たとえば地下鉄の駅。
タシケントの地下鉄の駅はとてもきれいで個性的です。
天井の高さが日本の地下鉄の2~3倍はあって
シャンデリア&大理石の壁とか
巨大なオブジェがはめこまれた壁とか
とにかく豪華。
でも撮影は禁止されています。
もったいない、観光資源として活用すればいいのになあと
私は思いますが。

また、政府関連の建物も撮影できません。
「政府関連の建物」とほかの建物が大きく違うわけではないので
間違えて撮ってしまったり
ほかのものを撮ったつもりが写りこんでしまうこともあり得ますが
撮ってしまうと、悪意がなかったとしても
警察に連行されてしまう可能性があります。

ですから、今のところ、街路ではあまり写真を撮っていません。
タシケントは立派な建物の多い都市なのですが
家庭内でばかり写真を撮っているので
このブログもずいぶん牧歌的な雰囲気になってしまいます。

2012年7月19日木曜日

ウズのドリームランド


ホームステイ先の子、ミルサイドが誕生日で
「いっしょにparkへ行くか?」と聞くので
もちろんついていったわけだが
そこはparkといっても「公園」ではなく「遊園地」だった。



遊具のラインナップは、メリーゴーラウンドに観覧車、
グルグル回るものや上ったり落ちたりするものなど
日本と大きく違うわけではない。

というか、30歳以上の神奈川県出身者向けに表現するなら
「ドリームランドじゃん!」って感じ。
それほど大規模ではなく、遊具もくたびれていて
でも地元の子どもたちには愛されている、あの感じ。
たぶんほかの街にも同じような遊園地が
ある/あっただろうと思う。

そうそう、いきなり話がそれるが
ドリームランドといえば、先日、弟がこんな疑問を口にした。
弟の頭の中で、たまに流れる歌がある、と。
それは、昭和歌謡のようなメロディーで
 よ・こ・は・ま ドリーム ランドに 行きた~け~りゃ~~
 か・っ・て・に 行・け・ば・と 言いたく な~~る~~♪
というものである。
今まで何も考えずにこの歌を思い浮かべたり
一人でいるときは口ずさむことさえあったが
実はこの歌、姉(私の妹)が作った歌ではないか、と。
間違いない。それは幼かった妹が
ドリームランドに行きたい想いを歌にして
お風呂などで弟に歌わせていた歌である。
「やっぱり……」と弟が悔しがっていたのが忘れられない。

閑話休題。

遊具のラインナップはドリームランドと変わらないが
違う点もいくつかある。

まず、プールサイドが砂浜。
二重内陸国ゆえの海への憧憬が表れているのだろうか。









フードコートのようなところで
鶏肉の丸焼きやノン(ウズのパン)など
しっかりめの食事を食べられることにも驚いた。

ちなみに、ミルサイドの誕生日は
毎年、この遊園地に遊びに来て
鶏肉を食べるのが恒例らしい。
いい家庭内ルールだと思う。


ほかにも、屋外に卓球台があったり
食べ物のワゴンに並んで、有料体重計があったり。
射的やおもちゃが当たるくじびきなど
お祭りの夜店のような屋台もあった。

そして、何より興味をひかれたのは
たくさんいるキャラクターたち。

妖精?


暑いけど、そこで休んじゃダメ!



ボブも!


思っていた以上に楽しい場所だった。


2012年7月18日水曜日

誕生日だ、タブリックライマン


本来のウズ式だと、誕生日の主役が
自ら店を予約したりケーキを準備したりするらしんだけど
私はまだ来たばかりなので
今年は日本式で誕生日を祝ってもらいました。

まず、いま一緒に語学訓練中の友だちからケーキを。



ウズベク語の「shirin」には「甘い」と「おいしい」の
2つの意味があるという
それほど「甘いはうまい」なお国なので
ケーキももちろん甘かった!
でもスポンジがしっとりしてておいしかったです。

帰宅後、ホームステイ先の家族からプレゼントをいただきました。


折り畳み傘と室内用のスリッパです。
「この国の太陽は強いですから、カサが必要です!」
と、私が片言でわめいていたのをおぼえていてくれたのでした。
本当にやさしいなあ。

ちなみに、事務所周辺(タシケントの丸の内的な場所)では
日傘をさしている人はほとんど見かけませんが
ホームステイ先の周りでは
妊婦さんを中心にさしている人がちらほらいます。
日傘をさすと私も妊婦だと思われるのではないかと心配です。

ご飯は、もちろんオシュで
食後はケーキ。これも甘くておいしかったです。










来年はウズ式に、自分で主催してみようかな。

2012年7月13日金曜日

ヒライのウルルン滞在記2


(続き)


さて、モヒラの親戚の家へ行くと
女性陣が大きな木の下にテーブルをひろげ保存食をつくっていました。

大量のトマトジュース。


ひき肉をつくるような器具でトマトをどんどんおろします。
ちなみにこの美人な嫁は21歳。
19歳で結婚して1児の母をやっています。
ウズベキスタンの女性の多くは20歳前後で結婚します。


トマトをおろしたら、漉してジュースにします。



搾りかすは、ピーマン、たまねぎ、ニンニクなどとあわせて
大鍋で煮詰めます。



これは「イクラ」というらしい。
毎年夏に大量につくって、保存しておくそうです。
ナンといっしょに食べたらとてもおいしかったです。


大人たちが作業している間、子どもたちはそばで勝手に遊んでいます。

大家族って、そういうところがいいよね。嫁は大変そうだけど。


 

右の写真の女の子がモヒラ。かわいいでしょ?

作業が終わったら、そのまま外で食事が始まりました。


オシュとトマトサラダ。

オシュはウズベキスタン料理の代表で
たまねぎとにんじん、肉などを刻み
お米といっしょに油で炒めたのちに炊いたもの。

トマトサラダはトマト、きゅうり、たまねぎとミントに塩をかけてつくります。
ウズベキスタンの乾燥した気候は、野菜や果物づくりに適しているらしく
野菜も果物も味が濃くてとてもおいしいです。

そうこうしているうちに、男の人たちが帰ってきました。

2人ともそれぞれ孫がいます。
ひげの人は40代半ばで、おじいちゃんには見えませんが
ウズベキスタンではそれが平均的な年のとり方なんですね。

こうやってたくさんのウズベキスタン人に会うと
会う人ごとに、名前と日本人だということはもちろん
「年齢はいくつだ」「結婚しているのか」「いつ結婚するのか」
などと質問されます。
30歳を過ぎて結婚していないなんて、どういうことなんだ!?
と思うらしいです。
「お前の結婚式はいつだ?」とか言われたって
「そんなの、私が知りたいよ!」という感じですが。

一番しつこく聞いてきたおばさんに
「日本にはいい男性がいないし」と答えたら
「いい男性がいないとはどういうことか?
 お酒をたくさん飲んだりタバコを吸ったりするのか?」
とさらに質問が。
いやー、その辺はかまわないんだけど、なんというかさー
ウズベク語で説明できないんだけど、うーん……
と、さらに困りました。

ウズベキスタンの夏は日が長いのですが
それもいよいよ暮れてきたころ
モヒラのお父さんがまた現れて、ヒライの長い一日は終わりました。

思いがけず「フツーのウズベキスタン人の生活」が
垣間見られて充実した週末でした。

2012年7月12日木曜日

ヒライのウルルン滞在記1

「ウルルン滞在記」といっても、感動的なことは何もありゃしないんだけど
ホームステイ第1週目の土曜日の様子を写真でご紹介します。

朝、ヒマでウロウロしていたら、モヒラのお父さんと会いました。


モヒラのお父さんは言いました。
「わはは。お前は、最近モヒラがよく話している日本人だな! わはは。
 お前、今からうちに来るか? わはは」
私はもちろんついていくことにしました。

でも、家についたら肝心のモヒラがいません。
お父さん「おい、いま帰ったぞ。モヒラはどこだ。日本人をつれてきてやったぞ」
お母さん「あら、やだ。モヒラは朝、親戚の家にやったじゃないですか」
お父さん「なんだ、モヒラはいないのか! せっかく日本人をつれてきたのに!」
お母さん「大声を出したって、いないものはいないんだもの」
お父さん「まったく! 困ったやつらだ! まったく!」
お母さん「ちょっと、お兄ちゃん、この日本人の相手をしてあげて」

というわけで、モヒラとミルサイドのお兄さんで
入試まで3週間の受験生が登場しました。申し訳ない。

彼に家を案内してもらいます。

家は典型的なウズベキスタンの造りで、コの字型をしています。
コの字の真ん中は畑で、今はレモンとブドウが青い実をつけていました。
大量のトマトも干してあります。



男たちは庭造りに精を出しています。


お母さんは洗濯。お母さんの左手がかかっている水色の機械が洗濯機です。



洗濯機といっても、ボタンを押すと中の水がぐるぐる回るだけ。
ウズベキスタンではまだ手洗いの家庭も多いようです。

コの字型の建物の半分は、牛舎です。


















牛は全部で4頭いました。

自家製のヨーグルトをいただいたら、めっちゃおいしかったです。

ただ、牛舎が隣接しているせいで
ハエ(pashsha)が半端なくいます。
これはハエをとるためのシート。



リアルなハエの絵を描いたシートで、表面がベトベトしています。たぶん。
触っていないので想像ですけど。
ハエが「仲間がいっぱいとまっているから、何かおいしいものなのかも~」
と降りると、足がくっついてしまうという仕組みでしょうか。
かなりの数のハエが罠にかかっていました。

一通り話が尽きると「つーか、お前、女子のほうがいいんじゃね?」
という感じで、今度は高校生のお姉さんとその友だちの
女子高生2人組に預けられました。
そしてよくわからないままに気づけば2人の高校に。









どうやら2人は修了証と成績表を受け取りにきたようです。
1人はオール5、もう1人もそれに近いいい成績でした。

うちへ帰ると、お父さんが言いました。
「おい日本人、モヒラのところへ行くか?」
というわけで2軒目のお宅訪問です。

(続く)